市長発言で空転も「議事精査以前の問題」で質疑継続へ。総務委13時から再開。

昨日12日(月)の総務常任委員会において、市議会が減額修正した銭函での水難救助体制整備事業費における市長発言を巡り空転し議事精査のため中断してしまいましたが、「議事精査以前の問題」として精査を打ち切り、本日13日(火)13時から質疑を継続することとなりました。

問題となった市長発言は、「昨年だけでなくこれまでも水難事故も起きていて死亡事故が発生している。このような事故を起こしたくないという消防隊の考えや思いから提案をさせて頂いた。海岸線に多くの方が来られている中、市が予算化しようとしている時に夏に死亡事故が起こった時に悔やまれや道義的責任が問われる」などと、これまでの議会答弁で一言もなかった主観的な道義的責任を持ち出しました。

これは、9日の予算特別委員会での原案否決・修正案可決の採決を受け、市長が「銭函で水難事故が発生した場合、議員はどう責任をとるのか。予算に一部の議員が協力しない状況は大変残念」と新聞記者に発言したことから発展しました。この発言に関わって水難事故や市が行う行政行為における責任の所在について質疑が及び、市長は「(海岸線における事故は)そのような道義的責任におきましては、市としてもその責任をしっかり背負わなければならないということから、提案をさせていただいている」」と述べました。

一方で、水難事故における行政的な見解は「市が海水浴場の開設者で最低限の安全管理をしていなかった場合には、何らかの責任が問われる可能性はなくはないが、基本的には遊泳者の事故責任なので市が責任を問われることはない」(担当課長)であります。

個人的な見解や主観による道義的責任に及んでしまうと、それこそ、個人的な思いや考えは違いますから議論も責任も膨大に膨れてしまいます。市長として行政行為や議会の議決に個人的な思いによる「道義的責任」を持ち出してしまうのは問題で、だからこそ、法律・条例・規則・ルールがあるのです。それらを一切遵守せず、ご自身の思い・思想だけで統治し税金を使いたいのであれば、他の国を立ち上げるかしてもらうしかありませんね。

なお、道義的責任とは「道徳や人として行うべき道理などから生じる、任務を行うべきであるということ、あるいは、任務を行わなかったことによる責めなどを意味する表現」であります。

ご自身の発言によって質問で突っ込まれると苦し紛れに答弁するのがいまの市長ですが、整合性・一貫性のない答弁は問題の火種であります。それを突っ込んだら、市長をいじめてる、生意気なという方もいるでしょうが、小樽市を代表する役に就いた方が個人的な思いだけで全市民に向けたサービスを展開出来るとは到底思えず、しかもその個人的な思いだけで責任問題を論じるのは議会議論以前の問題だと思います。

よって、委員会としては議事精査する以前の問題であるとし精査を打ち切り、13時から質疑を再開させ、総務所管の質疑が行われることとなりました。

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Author: 安斎哲也

好きな言葉:為せば成る為さねば成らぬ何事も成らぬは人の為さぬなりけり

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